本当に、人生の中で、数回しかないことなのですが。
今回は、叔母の手術の時のことでした。
つい先日のことです、私は、叔母の緊急手術のことを聞き大変心が痛みました。
このような時、私たちクリスチャンは、主に依り頼んで祈ります。
その時、涙がわけもなく溢れ出したのです。
手術の結果は、無事成功でした。
自分勝手な解釈なのですが、涙は、主が私たちに臨んでくださった証拠だと思っています。
いつも、そうなのですが、涙の後には、良い結果が伴います。
一番、顕著な例が、妹の結婚式の時です、賛美歌を口ずさんだ瞬間、涙が止まらなくなりました。
義理の弟は、非常に愛情深く、私の両親のことまで、熱心にケアしてくれます。
それは、本当に彼しか考えられないと思わせるものがあります。
素晴らしい男です。
人の苦しみが、自分のことのように感じられる時、そこには愛が存在します。
聖書の言葉には、よくできた(神さまの言葉だと思っている方にはごめんなさい、私は翻訳だと思っています)ものがあります。
『愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。 不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。 不義を喜ばないで真理を喜ぶ。 そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。 愛はいつまでも絶えることがない。』
二人の間の親密さは、他者への否定を含んでいることがあります。
二人の愛ではなく、3人が同様に同じ愛でかたく結びついている様子です。
三位一体ともよく言われますね。
今や私は、教会に通うような熱心なクリスチャンでは、ありませんが、心の内には、基本的な考え方として上述のようなことが根付いています。
ふと、今朝何か思い立ってこれを書いています。
興味のない方も最後まで読んでくださりありがとうございます。