私が守ることの不可能なこと
exod 20: 3
あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
exod 20: 4
あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。
exod 20: 5
それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、
exod 20: 6
わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。
exod 20: 7
あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。主は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。
exod 20: 8
安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
exod 20: 9
六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。
exod 20:10
しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。――あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も――
exod 20:11
exod 20:12
あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。
exod 20:13
殺してはならない。
exod 20:14
姦淫してはならない。
exod 20:15
盗んではならない。
exod 20:16
あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
exod 20:17
あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。」
この中で「姦淫してはならない。」について、イエス様は厳しいことを言われている。
matt: 5:27
『姦淫してはならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
matt: 5:28
しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。
matt 5:29
もし、右の目が、あなたをつまずかせるなら、えぐり出して、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに投げ込まれるよりは、よいからです。
しかし、ここである疑問が私の内に沸き起こる。イエス様が、あえて「心の内で」と言われた根拠は、ご自身も私達と同様に、その感覚を知っていたことにはならないだろうか?もちろん、人の考えることは、相手が言葉に出さなくとも悟られていたと考えられる。しかし、人となられこの世に下りて、ご自分もその罪を共感といってはおかしいかもしれないが、共有されていたのではないかと私は考えてしまう。天使でさえ、娘達の容姿の美しいのを見てめとり、中に入ったのである。人性も同時に持たれたイエス様なら、なおさらではないだろうか?
それはおいておくとして、私は日々、心の中で、姦淫を犯し続けているのである。